【羽仁もと子のことば】


思想しつつ生活しつつ 上 (著作集第二巻)

 ー巻頭の言葉ー

 思想しつつ生活しつつーこの楽しみを味わいかけて来ると、だれでもこの人生に感謝と生きがいを感じて来ます。思いにあまることがあったら、祈りましょう。思っても実行し得ないことがあったら、また祈りましょう。それが我々のほんとうの生(いのち)の泉の源です。

 ー生活の隠れたる部分ー

 美花を得ようとするならば、根元に培うことが第一です。根元にはとんちゃくなく、花の形を造るならば、出来た花は造り花です。まことの幸福を得るためには、どうしてもうわべばかりの細工ではなく、ぜひ根本(こんぽん)に培うことに隠れた努力をしなくてはなりますまい。お世辞を言いきげんをとって人の愛を得ようとするのは、ちょうど布や紙で花を模造するのと同じことです。

 ー唯今主義ー

 私どもは無事の日を常と思わず、むしろ心がかりのあることを、人生普通のことと思うように、わが心を鍛えておかなくてはなりません。そうして無事の日を、特に与えられた恵みの時として感謝し喜びもしたいと思います。


「人間科学」

『かぞくのじかん 2021年春』vol.55

人間はまず人間を知らなくてはなりません。人間を知らないで人間を生きようとするのは無理なことです。

われわれが人間を知るのには、その一人であるところの自分を、注意ぶかく本気に生きることからはじめなくてはなりません。また自分と周囲の人間との、さまざまの関係交渉を、同様に注意ぶかく、本気に取り扱うことからはじめなくてはなりません。

けれども、それだけで自分がわかる、人間がわかっていると思っていたらまちがいです。自分を見つめ、周囲を見つめ、または自分の棲んでいる現在のあらゆる社会相人間相に通じているとしても、それはやはり人間の一平面だと思います。

どんなに自分自身をよく知っている雀があっても、それは鳥を知っているとはいわれないように。そうしてまた鳥を知らないでは、雀自身がほんとうにわかり得ないように。

ことに多くの変化と進歩に富んだ歴史をもっている人間なのですから、その人間を知るためには(いいかえればまた自分を知るためには)活きた眼をもって、人間の生命の歴史を通観しなくてはなりません。そうしてさらに、その中に現われている個々の生命を、さまざまの類別によって、できるだけ深く徹底的に知ることをつとめなくてはなりません。

自然科学、社会科学、次に興ってくるもの、見出されてくるものは、人間科学ではないでしょうか。人間の生命も科学的に研究され得るものであり、そうされなくてはならないものなのに、それがまだないために、人間の精神生活が漫然となり手前勝手になっているのだと思います。

人は自己に対する知識を基礎に、人間を考えることができ、人間を知りつつ、さらに自分に注意することによって、はじめてだんだんに自分の個性を発見し、独自の使命を感ずるようになっていくものです。

 

(著作集第1巻『人間篇』1929年より)